翻訳
●Sensei’s World 先生の世界
Benjamin Fulford David Whelan, 09.
06. 04
富裕であることで知られる日本の教団・創価学会は、米国にすばらしいキャンパスを作ることで、再び米国での栄光を掴もうとしている。この、池田大作の謎の帝国は、非営利団体に対する寛大な恩恵に感謝することだろう。
カリフォルニア州アリソ・ビエホにある、アメリカ創価大学の小高いキャンパスを歩くと、この国際非営利団体の途方もない世界に遭遇する。3年前に設立されたこの学校は、オレンジ郡郊外の103エーカーの土地にこれまで3億ドルつぎ込まれており、今でも工事は続いている。この秋の時点で、学生は400人しかおらず、このわずかな学生が、贅沢なロマネスク様式の建造物の間を徘徊している。
創価大学の最大の後援者は、日本で物議を醸している仏教の1分派、創価学会である。創価学会は、44年もの間、場合によっては熱心な宗教者の一面を見せるが常に権力の拡大を求め続けている池田大作が君臨している。しかし、それに続く重要な“後援者”は、実は、日本や米国をはじめとする、世界中の税の優遇措置である。この優遇措置は、大小のさまざまな慈善団体に与えられる性格のものである。米国では、非営利分野が、年間8750億ドル消費すると同時に労働力の9%を雇用しているが、ほとんどの慈善団体で必要とされる財務諸表の公開を除けば、説明責任はほとんどない。宗教団体には、この程度の説明責任さえもないのだ。それでも、税の免除によって得られるすべての利益を享受することができる。しかも、何をしようとしているか説明する必要もない。
創価学会は、まさにその典型だ。池田は現在76歳で、同教団の世界組織、創価学会インターナショナルの会長を務めているが、1200万人の信者がいると公言しており、日本の国会議員が10年前に1000億ドルの資産価値があると見積もった大帝国を築き上げた(教団では否定しているが、その財政状況については一切コメントしていない)。日蓮宗の危険な分派であり、暴力、恐喝、脅迫などの嫌疑が出ている。ある日本人創価学会員は、不正な盗聴や個人データベースへの侵入など、様々な事件が取りざたされている。教団は、日本人の10%近くが会員であることを引き合いに出しながら、これらの活動は教団と無関係だと主張している。だが、もっと悪辣な行為を告発する声もある(130ページの囲み記事参照)。
創価学会(文字的意味は、「価値を創造する会」というもの)では、控え目に見積もっても、年間150億ドルが最上部に渡るようになっている。これは、同教団の会費、独自の教団税、商業活動を基にして見積もった額である。この収益のほとんどは、日本で集められたもので、仏壇、仏具、新聞(購読部数550万)の販売によるものである。同団体には、広範囲に渡る国際資産があり、フランスや英国の不動産もこれに含まれる。高級住宅地、カリフォルニア州サンタモニカでは、創価学会所有の高層オフィスと公会堂が、ウィルシャー・ブルヴァードの海岸近くに軒を連ねている。近隣の小高い丘には、映画『風とともに去りぬ』で「タラ」のシーンで使われたキング・ジレット牧場があるが、これも創価学会の支部が所有している。世界中に数多くの宗教センターがあり、中には、ニューヨークのユニオン・スクエア近くにあるもののように、600万ドルの価値を持つものもある。
創価学会は、潤沢な富と以下で紹介する告発によって、ハレ・クリシュナ、文鮮明師の統一教会、カバラ・センターのメンバーであるトゥデイズ・ヒッペスト(マドンナなど)グループなどと同様、有名な教団になった。米国では、政界に進出した教会は、連邦税免除の権限を失うことがある。創価学会は、日本での同様の規制をうまく回避し、政党、新公明党を結成した。そしてこの新公明党が、自民党長期政権の権力維持に一役買うことになった。
日本の創価大学は1971年に設立された。アメリカ創価大学は、マリブに近い、カリフォルニア州キャラバサスにある現在の大学院キャンパスに1987年に創立された。近年、米国の教育局によって承認されているとある団体から、学部課程プログラムのプレアクレディテーション認定を受けた。学部卒業生向けのプログラムについても、同様の作業が同時進行中である。
このプレアクレディテーションとは、前年の創価大学のアメリカ人学部生(IRSに報告されたところによると、その資産は7億4千万ドルを超えるという)が、教育課程を通して、最高2万3千ドルの国のスタッフォード・ローンを利用する資格を得ることを指す。また、貧しい受給者の場合は、ペル奨学金により、最大で年間4千万ドルの追加支援を受けることができる。
ところで、池田の野望とはなんだろうか? 彼は、創価学会の権力を握ってから5年後に、ある日本人記者に語った。「私は日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」。それ以来、「世界平和」は教団のマントラ(=真言)になった。新公明党は、日本の平和主義を推進している。教団の代表団は、国連や公式の席で、国際協調と親善をまくし立て、そしてもちろん池田を宣伝している。池田の信奉者たちは、池田をマーティン・ルーサー・キングJrやマハトマ・ガンジーと並べ称する巡回興行を各地で行った。
全国1000箇所の教団の会館では、創価学会員が、「人生向上」の力を持つお題目を唱え、修行に励んでいる。信者は、「異体同心」になるよう求められる。リサ・ジョーンズによると、「異体同心」とは「先生の意志を自分の意志とせよ。自分の夢の代わりに(池田の)夢を実現しなければならない」という意味である。彼女もかつては信者で、池田の本をゴーストライターとして書いた経験もあるが、現在は「創価学会を疑う」ウェブ・サイトを運営している。「彼の夢は『広宣流布』、つまり学会員の言うところの『世界平和』です。これは、世界の3分の1が経を唱え、3分の1が池田を讃え、残りの3分の1が無関係の状態になっているときに初めて実現されるといわれています」と彼女は語る。
創価学会は、一時代前に、米国で信者を獲得するため、世代の文化衝突や学会員の名士を利用して勧誘活動を行ったが、プレスの反発を買い、結果的に教団はいくぶん後退することになった。しかし、その正当性を確立するための努力、そして池田のビジョンを実現するための努力は決して怠らなかった。彼らは、ハーバード大学の隣の、1万3000平方フィートのジョージア様式建築にボストン21世紀センターを設立した。池田は、ミハイル・ゴルバチョフとヘンリー・キッシンジャーを同センターに招き、たびたび会談を行った。また、歴史家アーノルド・トインビー、2度のノーベル賞受賞者ライナス・ポーリング、公民権運動の名士ローザ・パークスなどとも会談した(創価学会米国支部は、膨大な黒人会員数を誇っている)。このような有名人との会談は、その一部が出版され販売されている。
これだけを見ると、悪意や情報操作によるものではなく、むしろ理想主義や良心のようにも見えるかも? 非営利団体、特に宗教団体の周辺にはベールがかかっていて、ぼんやりした輪郭しか見えない。創価大学はIRS申請を提出しているが、その背後にある組織は違う。
米国の議会は、非営利団体に対する見方を変えつつある。チャールズ・グラスリー(アイオワ州・共和党)上院財政委員会議長は、6月に、税免除の濫用に関するヒアリングを行った。同氏は「納税者と非営利団体との間で合意している契約を破っている慈善団体が多すぎる」と言う。彼が怒っているのは、家族の基金の略奪に関するニュースについてである。8月10日、IRS(Internal
Revenue
Service)は、非営利団体に割り当てる職員を230から300に増やすと確約した。この小さな団体は、1600万にものぼる税免除組織に対応することになっており、しかもそれ以外に、年次納税用紙をIRSに提出する必要のない宗教団体がおよそ40万あると考えられる。そのため、調査は通常、申し立てがあった場合に限り行われる。この消極的な役割の例外には、サイエントロジー教会との長きに渡る敗北戦争がある。
9・11以降、一部のムスリム・グループは、テロリズムとの関係が疑われ、監視されるようになった。法務省は、最近、全米ムスリム評議会の前会長を訴追し、ダラスに本部を置くホリー・ランド・ファウンデーションの7人のリーダーを起訴した。だが、テロに関係しているのでない限り、世間に吹聴することもできるし、本を書いても誰も手にとって見ようとしないだろう。1990年から2000年までIRSの税免除組織部門を統括しており、現在ワシントンで代理人業を営んでいるマーカス・オーウェンは、「法人税の返還を担当するすべての収税官は、数百万ドル生み出す。だが、税免除に配属された収税官は、誰一人として、自分の給与さえまかなうことができない」と言う。
池田関連の財産も、事実上、アンタッチャブルなのである。日本では、創価学会は、8千人の学生を抱える大学を所有しているだけでなく、その政治力も増大させている。昨年の10月、自民党代議士の少なくとも20%は、創価学会員の援助がなければ当選できなかった。これは、政敵の民主党に国会の過半数を奪われていたことを意味する。自民党衆議院議員の平沢勝栄は、自民党と公明党との関係について「まるでアンフェタミン(中枢神経刺激剤)のようだ」と言っている。
朝日新聞の6月の特集で、税法専門の石村耕治白鳳大学教授は、創価学会の政治活動は宗教的な地位の濫用であると述べている。石村は、「政治的基盤を作る上で特定の宗教組織に依存する与党の影響がますます大きくなる」と書き、創価学会の寄付に対して課税すべきだという立場をとっている。
池田は、早い時期から、独自の資金調達プロセスを確立していた。創価学会についての著書があるジェームス・ホワイト北カロライナ大学教授によると、池田は1960年代、富士山麓の本部寺院でのクラッシュ4日間ドライブで、日本の保険業界の度肝を抜いた。記録総計は上昇し、一部の会員は生命保険証書で儲けた。(訳者:意味がよくわかりません。こういう事実があったかどうかも確認できませんでした)
キャラバサスの田園地帯にある、創価学会の米国最初の学問拠点は、近隣の抵抗にあった。拡張開発の戦いを経て、現在では、660エーカーの土地が取得された。この土地はやがて、語学教師を目指すわずか6人の言語学生のホーム・グラウンドになる予定である。これらの学生は、来るべき日に、日本の創価学会特使の養成にあたることになる。
2001年、第一級の図書館と非宗教的な教職員を併せ持った、どの宗派にも属さない教育機関を作るという約束の下で、計画はアリソ・ビエホにシフトされた。この新しいコミュニティ基本計画は和解に達した。キャンパスの競技会や芸術のアトラクションが、図書館と同じように、一般に解放された。米国の有名な作家、ジョー・マクギニスがここで教鞭をとることになった。
しかし、マクギニスらが上層部からの妨害について不満を表明した段階で、真実が露見した。何人かのスタッフが辞め(マクギニスの契約は更新されなかった)、1人は訴訟を起こした。別のスタッフも調停を求め告訴したが敗れた。まじめな大学職員たちは、苦しい立場にあっても、人類の向上のために捧げられた田園文芸を教示した。創価大学は、どの宗派にも偏らない独立した学校であることを主張している。たとえば、ブリガムヤング大学やノートルダム大学のように、宗教的な影響さえも受けていないと言う。しかし、少なくとも創価大学の理事の大多数は、直接創価学会とつながっている。しかも現時点で、志願者の70%は、創価学会員である。
非宗教的な教員は、違和感を感じていた。大学は、2002年に解雇された美術教授、リンダ・サウスウェルから告訴された。彼女の告訴は、「純粋にアカデミックな努力の追求、自由でオープンな言論、人間の多様性への感謝」という建前に疑義を差しはさんでいる。「実際は、カルト信仰とカルト的なものの見方を反映したカリキュラム」で、言論や会合さえも制限されている。彼女はまた、創価学会員の教員が優遇されているとも述べている。
創価大学は差別しており、機密条項が含まれた「満足のいく」方法で不当に解雇していると、サウスウェルの弁護士、ブライアン・グリッカーは言う。他のある教授は、自分の「恐ろしい」仕事を辞め、不満の1つ1つについて話すことをやめている。
グリッカーは、創価学会インターナショナルに属さない他のスタッフから情報を集め続けている。「非SGIスタッフまたは教員のうち、その多くあるいはほとんどは少なくとも辞めることを考えている」と、不満を持つある教授は言う。「大学は、集めようとしている21人の教員のうち、7、8人しか雇うことができなかった」。大学当局によると、このようなことは聞いたことがなく、職員の離脱は、新しい学校の苦労のせいだとしている。残存率は81%だと彼らは言っている。
当初の目標である学生数1200人には、まだ遠く及ばない。学内の摩擦が障害になっているのだろうか? 大学側は、アクレディテーションの承認を受けるには教員も建物ももっと必要になるが、これはじきに達成されるという。キャンパスのイメージは、平穏と力だ。建物には、ローマのコロセウムで使われているものと同じ石が使用されている。なんでも、池田がこの石を使うことを主張したのだという。この大学が2000年続くようにという願いがこめられている、と創価大学のスポークスマンは説明する。キャンパスには、カジノさながら、監視カメラ・ネットワークが誇らしげに配備されている。
大学には、巨大な「ゲスト・ハウス」とさらに大きな「図書館」があり、周囲を睥睨している。ある大学の職員が言うところの「ベネズエラ大統領や池田大作」など、VIP用の豪華なレジデンスも配備されている。レジデンスには、華麗な家具が置かれており、池田の肖像画の他、さまざまな芸術作品が集められている。VIPが来ていないときは、これらすべてに白い布がかけられる。
学部生カタログには、「リーダーとして、政策決定者として」と書かれており、創価大学の卒業生は「貢献的な人生という理念に導かれ、仏教の教えによる人間的なアプローチ」が可能になる。しかし創価学会の機関誌や、(池田の名前が付いた)創価大学図書館の大きな書架を飾るさまざまな出版物には、池田による仏教の解釈、すなわち創価学会の一員となって経を唱えることで世界平和と民主主義を実現できるという理念が掲載されている。大学側によると、他の仏教の書籍もあるということだが。
4年生の創価学会員、ファビアーナ・サンチェス(21)は、アリソ・ビエホに来ている他の学生と同じように、社会と平和のために何かをしたいと言う。彼女は、卒業後、故国ベネズエラに戻り、ある種の「教育および政治関係」の仕事に就きたいと考えている。創価大学は、年老いた先生が近い将来アメリカの学問拠点を訪問する計画があるという噂を否定している。教団の舵取りの後を継ぐのが誰になるかもまだ不明だ。池田の2人の息子は、現在創価学会の副会長であるが、教団は世襲制を否定している。だが一方で、税の免除を受けている数十億の資金は転がり込む。それも、あらゆる地域で、当局がほとんどまったく関与できないのだ。
忠誠の詠唱
著名な創価学会信者に、殺害されたジャーナリスト、ダニエル・パールの未亡人であるマリアン・パール、ジャズ・ミュージシャンのハービー・ハンコック、ダラスのTV番組で有名なパトリック・ダフィーなどがいる。歌手のティナ・ターナーもかつて創価学会員と考えられていたが、彼女のスポークスマンは、そのつながりを正式に認めていない。
●Death Watch
Benjamin Fulford, 09. 06.
04
Back to Sensei’s
World
日本の創価大学は、学生に公務員試験の勉強をさせ、それに受かるよう指導している。公的機関に学会員を送り込むことは、創価学会に精神的寄与するより、より有効なことかもしれない。東京の民事裁判所で争われた事件から、このことを見てみよう。
1995年、東京郊外・東村山市の市議であった朝木明代は、次のような理由で、議会で強く異議を申し立てた。それは、市全体のごみ収集事業が創価学会の関連会社と契約が結ばれているのではないか、というものであった。
殺すぞという脅迫があったあと、朝木議員はビルから飛び降りた。娘の朝木直子は、その当時の様子を次のように語っている。警察がその現場に駆けつけたとき、彼女はまだ生きており、病院へ行けば助かったかもしれなかった、と。そして、母が死んだとき、警察は彼女の体をすぐに火葬しようとしたという。
最初に調査した検察側の人間は、信田昌男という男であり、その上司である支部長検事は、吉村弘であった。両方とも創価学会のメンバーである。彼らの報告によれば、女性服を万引きしたという疑いをかけられたので自殺したのだという。
殺人の疑いがあると、その家族は告発しようとしたが、その情報をつかんだ創価学会は、逆に名誉毀損でその家族を訴えた。部分的には、創価学会側の言い分が認められた。しかし、警察からの検死報告によれば、彼女の腕の下には、大きな圧迫痕があり、彼女は何かで引っ張られた疑いがあることを示していた。また朝木直子は、母が死ぬ前に、緊張し恐怖でひきつった声のメッセージを残していると強く主張している。結局要領を得ないが、裁判所は、彼女の死を自殺と結論付けた。学会のスポークスマンは、調査官が学会員であったことは偶然でありその事件とは宗教的関連はない、と否定した。
公明党が政府与党に擦り寄ってからは、なおさら、死の原因究明は遠ざかるばかりだった。朝木直子は、タップリと皮肉をこめて、「創価学会に頼りきっている政府与党が、調査なんてすると思う?」と。
●Super Phone 進化する携帯
Benjamin Fulford, 09. 20.
‘04
Web携帯の創始者である榎啓一氏は、携帯電話をEメールやゲームといったものの利用から、さらに、日常生活のなかにあるいろんなものをリモートコントロールする道具として、携帯を利用できるよう推進している。
ニューヨークやシアトル、シカゴへいけば、2人に1人は携帯電話でお喋りをしているのが目にはいる。しかし東京の場合は、同じように普及はしているが、少し異なる。日本では、携帯で会話をするのではなく、覗き込んでいるのである。ダイヤルアップ接続の7倍以上のスピードでインターネット接続をし、携帯でネットサーフィンしているのである。
ハイスピード化という第三世代携帯電話は、まだ始まったばかりだが、日本ではすでに数十億ドルの市場となっている。それは、日本最大の携帯関連事業会社であるNTTドコモの取締役・榎啓一氏のおかげでといってもいいであろう。実用新案のアイデアが日本から発信されることが多いので、人々が黙々と携帯を利用しているのを見ても、黙って次の成り行きを期待しよう。
NTTドコモのIモードサービスは、榎氏によって積極的に推進されている。Iモードには4100万人が加入しているが、それはまさに日本人口の3分の1にもなる。さらにNTTドコモは、世界最高水準を誇る携帯用インターネットのプロバイダーでもある。IモードによるNTTドコモの売上げは、100億円に達しているのである。また、2000社以上にもなるドコモと直接関係のない企業が、NTTドコモのIモードによって15億ドル以上の売上げを上げている。つまり、ドコモ加入者が、Webサイト上の4500種以上のゲームやニュース、音楽のダウンロードをするからである。携帯によるeコマースは、まだ初期段階であるが、すでに年間10億ドルの規模に近づいている(ビッグ・ヒットをした例では、新しい高画質画面のおかげでポルノ写真の提供サービスがある)。
榎(55歳)氏は、Iモードを単なるeメールやネットサーフィンだけにとどまらず、未知なる領域へと伸ばそうとしている。
「だんだんと、携帯電話は日常生活にある機器のコントローラーになっていくだろう。つまり、テレビやその他電気製品のリモコンとして使われるようになる。また、地下鉄の乗車用として使われるかもしれない。会社のIDとして、ショッピングにおけるおカネの代わりとして、車のキーとして、その他人間に関することは何にでも利用されるだろう」と彼は言う。まさにその意味で、彼をギャンブラーと呼ぶにふさわしい(ちなみに、彼はパチンコの大ファンらしいが)。つまりそれは、「市場が欲しがるものは何でもOKだ」という夢追い人という意味で、ギャンブラーなのである。
日本で200ドルから300ドルで売られている最新の携帯は、財布の機能をもっている。つまり、公共料金の支払いをしたり、読み取り機に近づけるだけ(非接触)で映画のチケットが買えたりする。その携帯には、ソニーのサーキッドカードが内蔵されている。それは、電話の内部に内蔵されたメモリーが読み取り機と無線でつながり、カードに記録されている合計から、その金額を正しく決済してくれるというものである。また、新しいIモード携帯には、バーコード読み取り用のカメラがついている。雑誌やポスターに印刷されたバーコードにその携帯をかざせば、ウエブサイトから最新の情報、つまりコンサート情報だったり、ディスカウント情報だったり、それら情報を引き出すことができるのである。また受信メモリーは、1ギガバイトに増設することができるので、写真やビデオ、音楽などいろいろと利用できる。もちろん、電話として人とおしゃべりできることは言うまでもない。
Iモードが成功したのは、榎氏がTCP/IPやHTMLといったインターネット標準を採用したからである。つまりそれは、自社のドコモ標準を強制せず、インターネット標準を使うことを決断したからである。さらに、ドコモのIモードシステムを、台湾や、ドイツを含むヨーロッパ7カ国に、安価な金額でライセンス提供してきたからである。それは、もうすぐオーストラリアでも始まる。「消費者にとっては、“標準”なんて関係ない」と榎氏は言う。「Wi-Fi仕様だとか、テクノロジーがどうしたとかは、消費者にとって関係がない。重要なのは、そのコンテンツであり、サービスである」
3年前、第三世代の最初のサービスは、Iモードサービスであった。1秒間に384キロバイトのダウンロード可能なスピードを提供したサービスだった。しかし、初期の機種はバッテリーの寿命が短く、容量も小さく、散々なものであった。しかしその後、530万人の利用者は、Fomaと呼ばれる第三世代サービスの契約をすることによって、月30ドル平均支払うようになった。以前のサービスでは、20ドルにすぎなかったが。榎氏は、Iモードサービスの提供によって、ライバル企業のKDDIを追いかけたのである。そのころすでにKDDIの利用者は、高速ネットワークということで、1500万人に達していた。予想外の失敗もいくつかある。期待された携帯テレビ会議は、キラーアプリケーション(市場で大ブレイクするアプリケーション)にはならなかった。人々は、貴重なデータを小さな携帯の画面で、お互いに見合うことを好まなかったからである。
榎氏自身が抱えている大きな悩み事は、自らが携帯電話業界に広めてきたインターネット技術そのものからきている。ソフトバンクが携帯インターネット電話への参入を表明したからである。つまり、通常の費用で、ワイヤレスサービスを提供するというものである。それは、NTTドコモを脅かすものになるかもしれない。というのは、NTTドコモは、いまも売り上げの67%は、通話料金によって収入を上げているからである。榎氏がお客を画面に引き寄せようとすればするほど、利用者は、お金をセーブするため、通話のスイッチをひねらなくなる。「携帯電話は、やがて、生活のなかのコントローラーになる」と榎氏は言う。ドコモの急成長(Docomo Rising)。
日本のインターネット社会は、ますます混乱しているが、それはパソコンの発達によるものではなく、携帯電話によるものである。すでに巨大化しているドコモのIモードサービスは、急激に、超高速の新Fomaサービスなっている。
●Entrepreneurs
Adventures in the Skin
Trade 日本の刺青師の現状
Benjamin Fulford, 09. 20.
04
日本で熟練の刺青師になるには、努力と海外への進出が必要
熟練した技を持ちながらその技に対する需要がほとんどない状態では、その職人はどうしたらよいのだろうか? 『キル・ビル』のような刀を研ぐのに1インチ100ドルを請求する刀研ぎの職人、ヤスダ・シンジの技は、侍のいない現代では無用の技術となりつつあった。そのためヤスダは、36歳で、長年憧れていた職人への転向を決意した。それは刺青師だった。
これは簡単なことではない。まず、弟子としてあらゆる雑用をこなし、肉体的な暴力にも耐えなくてはならない。さらに、この仕事は昔から世の中にあまり認められてこなかった。日本では、刺青は犯罪者の額に印を入れるために始まり、後にこれに模様を入れてその印を隠すためのものとなった。19世紀の浮世絵師、歌川国芳は、ロビンフットのようなアウトローを描いた中国の小説・水滸伝の登場人物を描いた。この浮世絵はすぐさま、一般労働者の背中に刺青として彫られることになり、ヨーロッパの王族にも及んでいる(イギリスのエドワード7世、ジョージ5世、帝政ロシア皇帝ニコライ2世)。現在でも、日本の刺青は歌川国芳の絵に基づいているものが多い。19世紀末に明治政府は刺青を禁止し、その法律は第2次世界大戦が終わるまで効力を持っていた。このとき、刺青は再び無法者やヤクザの専売特許となったのである。日本刺青研究所のシマダ・クニヒロ所長によると、長年にわたるこうした政府の抑圧によって、現在日本には、刺青師は300人程度しかいない。一方アメリカには、1万5000軒の刺青店があり、年間4500万ドルの売り上げを上げているのである。
15年前、なんの経験もないヤスダは、雑用係として働くことを条件に仕事を見せてくれるようひとりの刺青師に頼みこんだ。彼が自分でこの仕事を始めた頃は、刺青は、やくざのものからもっと一般的な流行へと大きな変革を遂げはじめていたときだった。ヤスダがこの仕事に専念する前は、刺青師はたいてい暴力団を巡回して仕事をしていた。体全体、もしくは背中全体に刺青を入れることは、ある暴力団に一生の忠誠を誓うことを意味する(見習いの刺青師の多くは、以前の暴力団の名前や別れた女の名前を黒く塗り潰す仕事を受けていた)。刺青に失敗すると、その代価はひじょうに高くつく。ある暴力団筋はこう言う。「ある刺青師の男が、鏡で映した絵を基にしてしまったばかりに、刺青で左手に刀を持たせてしまった話を聞いたことがある。かわいそうにそいつは、小指を切り落とされたそうだ。こうしたお客に対処するため、刺青師は用心棒を雇わなくてはならなかった」。
しかし、それも過去の話である。ヤスダの場合は、最初に契約書を交わしている。彼の仕事は、日本では最もよく知られていた。少なくとも、刺青愛好者の間では。ヤクザは、彼の客のほんの数%にすぎない。これは90年代に暴対法が定められ、脅しなどの目的で刺青を見せるのが違法となったためでもある。東京のある暴力団組長は言う。「刺青を入れるのは私たちのビジネスにとってマイナスになる。政治家も企業家も、ヤクザと一緒にいるところを見られるのを嫌がるからだ」。しかし、現在の刺青の主要顧客、つまり反抗的な労働者や、西洋の刺青に影響を受けた若者も、慎重になる必要がある。彼らは背中全体の刺青に1万ドル、体全体の場合には4万ドルもの代金を喜んでヤスダに支払う。しかし公共施設の多くは刺青を入れた人物の入場を断っており、彼らは差別されることになるからだ。
これはつまり、ヤスダは海外のほうが活躍するチャンスがあるということだ。彼は最近、ニューヨークで開催された刺青大会に参加した。ここに集ったのは、バイク乗り、赤ん坊を連れた母親、証券取引所でくつろぐような人々、そして頭のてっぺんからつま先まで青い刺青を入れ、手術でつけた角をおもちゃにして楽しむような変り種の人々であった。賞金を手に入れようとさまざまなスタイルで競う人々の中で、ヤスダの技術は傑出していた。審査員の一人であるオマール・デル・ペソは、次のように言っている。「私たちはみんな、彼の作品を見て『ワオッ!』、と声を上げた」。ヤスダはトップの2賞を獲得し、「これで、私の仕事を認めてもらうチャンスができた」と語った。しかし、だからといって彼の日本での仕事が増えるわけではないのだ。